自由民権運動150周年と、岩手の先人・鈴木舎定
今年、2024年は、「民撰議院設立建白書」提出から150年で、「自由民権運動」150周年です。岩手 県人、鈴木舎定(すずき いえさだ)が活躍しました。
自由民権運動は、薩長中心の藩閥政治を批判し、民主化や自由化を進めようとした運動です。「憲法制定」や「議会開設」、「言論の自由」や「集会の自由」の保障を求めました。土佐(高知県)出身で後に自由党の党首となる板垣退助が盟主のような形で、当初は高知県をはじめ西日本で盛り上がりましたが、やがて全国に広がりました。
南部藩士の子、鈴木舎定は、1855年に生まれ、藩校作人館で学びました。16歳で上京し、英語や政治・法律を学び、1873(明治6)年、「東京新報」の編集者になって、自由民権思想を発信し始めました。翌年、「民撰議院設立建白書」提出の1874年には、19歳の若さということになります。
全国的な自由民権運動の中で、「岩手に鈴木舎定あり」と言われていたそうですが、1884(明治17)年、盲腸炎により、29歳でこの世を去りました。板垣退助の自由党は、その後、紆余曲折を経て、原敬の政友会へと発展していきますので、原敬とほぼ同じ頃に生まれた鈴木舎定の活躍が、原敬首相につながっていると言えます。
また、鈴木舎定の弟、巌は、新聞記者から政友会の衆議院議員になっていて、巌の子、彦次郎が、昭和の岩手を代表する文人、鈴木彦次郎さんです。
(終)
*鈴木舎定の生年と死亡時の年齢は、資料によって1年程度の違いがあるので、念のため。