私が敬愛する政治家、ヘンリー・ウォレス
私は、ヘンリー・ウォレスという、第二次世界大戦の頃に、ルーズベルト大統領の下で、アメリカ副大統領だった人物を敬愛しています。
ヘンリー・ウォレスは、党大会で、謀略的に副大統領から外されて、代わりにトルーマンが副大統領になり、ルーズベルトが亡くなってトルーマンが大統領になりますが、もしウォレスが副大統領のままで、トルーマンではなくウォレスが大統領になっていたら、アメリカは日本に原爆を落とさなかっただろうし、戦後の米ソ冷戦も起きなかったのではないか、と言われています。
ヘンリー・ウォレスの父は、共和党の大統領の下で農務長官を務めた人でした。ヘンリー・ウォレスも元は共和党員でしたが、大恐慌時代にアメリカ大統領になった民主党のルーズベルトによって、農務長官に任命されました。過剰生産で農産物価格が暴落していたので、生産・出荷を抑制し、一方で農民には補助金を出して、生活に困らないようにしました。この政策は成功し、アメリカの農業は安定するようになりました。
ルーズベルト大統領は、第二次世界大戦の勃発もあって、例外的に四回、大統領に選出されたのですが、三期目に、ウォレスを副大統領にしました。ウォレスは、貧困対策のような社会政策と、農業や工業の生産を伸ばす産業政策を、共に成功させ、現実的な仕事ができる進歩主義者として、政治的な影響力を高めていきました。ウォレスは反人種差別、反帝国主義でもありました。
ルーズベルトが四回目の大統領選挙に臨むころ、民主党内に、ウォレスに対する反発、嫉妬、憎しみが高まっていましたが、普通に採決すれば、副大統領候補はウォレスのままになるはずでした。ところが、反ウォレス勢力は、党大会の議事運営に細工して、大勢のウォレス支持者を排除した投票を強行し、トルーマンが副大統領に選ばれたのでした。当時、ルーズベルトは体が弱っていて、盟友ウォレスを守る政治行動ができませんでした。
ウォレスは核兵器の使用に慎重で、ソ連に融和的だったので、ウォレスが副大統領を続け、ルーズベルトの死後に大統領になっていたら、日本への原爆投下も、米ソの冷戦と核軍拡競争も、起きなかった可能性が高いです。その後の世界史も、大きく変わっていたでしょう。歴史は、決して必然性だけで動いているのではなく、あくまでも人間の行動によって動いているのです。(終)
*ヘンリー・ウォレスに関する参考文献:『オリバー・ストーンの「アメリカ史」講義』(早川書房)